消費したくない贈り物

大切な友人が入籍した。

彼女も私も、読書と文章を愛し、心地よい関係性を求め、簡単に言語化してしまわず感情と向き合うことを大切にしている。持っているリズムが似通っているのだなと、短い付き合いの中でも思う。入籍の吉報を聞いた後、彼女のために何か、それもこの喜びの気持ちのままできるだけ早く贈り物をしたいと考えた。

彼女は何度か、私が趣味で自作している短歌をこれ以上ないほど褒めてくれた。そんな彼女の人生の新しいスタートを祝うのなら短歌の形にしたいと思うまでに、そう時間はかからなかった。

 

彼女が大切にしている感覚や言葉をなるべく使って、私にしか贈れない歌にしたかった。彼女がこれからともに人生を歩むパートナーのことは、顔も名前、性格も、何も知らなかったが、彼女が話す彼のことからイメージを膨らませて詠んだ。

二人だけの幸せを掴んで欲しいと願った歌、どんな逆境でも二人で乗り越えて欲しいと願った歌、二人の対話をずっと続けて欲しいと願った歌。全部で三首だ。

良い歌になったのか、喜んでもらえるのかと不安になりながら送信したら、すぐに返信がきた。不安は簡単に吹き飛んだ。こちらが少し照れてしまうほど喜んでくれて、この上ない嬉しさに、私も包まれてしまった。

 

歌人の木下龍也さんが「あなたのための短歌」と題して、個人的なお題に沿った個人的な短歌を作っている。私もいつか、お願いしたいと思っている。木下さんが「あなたのため」に贈られた短歌は、そのどれもが素敵で、受け取られた方々は皆、お守りのように抱き抱えている。私もこんな風に、誰か一人のためだけに歌を詠むことができたらどれほど良いかと思っていた。彼女に贈ることができて本当によかったと思う。

贈ってから数日経った今でも、自分の短歌を見返してしまう。技術とかそういうことを言い出したら、もっと上手に、もっといい言葉選びで、と突き詰めることはできるかもしれない。けれど、この歌が宝物だと言ってくれたのなら、それでいいではないか。

 

この歌は彼女とパートナーにだけ贈ったものだから、どこにも公開することはないだろう。そういう「誰かのため」の短歌を、ひとつまたひとつと詠んでいくことが、私が本当に短歌を通して叶えたいことのひとつなのかもしれないと、確信めいたものを感じた。短歌に出逢って良かった。