ケーキの写真

夜、考えなくて良いことばかり考えてしまい、眠れない日が増えている。

深夜にニュースの見たくないところばかりをぶわっと一気に見て、そのまま関連ワードを検索してしまう。世の中の何に期待して良いかわからないという怒りに近い嘆きや、その改善のために主張をぶつけている人たちを見聞きすることも少ししんどくなっている。同時に、何も行動に起こしていない自分に対して「あなたはどう思うの?」と問いただされているような気さえして、しんどさをダメ押しされる気持ちだ。ぜんぶ勝手なのだけれど。

深夜2時過ぎまでこんな調子で、黒々したものを抱えたまま、スマホを握り締めながら何かに祈るように眠る。

 

ここ数週間、在宅勤務であったことも悪いように働いて、始業時間直前までベッドでぐだぐだして、そのままパソコンに向かう。寝付きが悪いのでほとんど仕事にも集中できず、仕事終わりに本を読んでも数ページで閉じてしまう。わかりやすく不調を感じはじめていた。

 

昨日、2ヶ月ぶりくらいに梅田へ行った。外に出て、ちょっとでも気分転換になればと思ったからだ。

緊急事態宣言が出ているため、営業していないお店も多いだろうなとは思っていたが、多いなんてレベルではなかった。地下街も、駅前の商業ビルも、コンビニなどを除いて空いているお店を探す方が難しい。

自宅と職場の往復、たまに近所を散歩するくらいだからほとんど気づいていなかっただけで、俗な表現だけれど、まさにディストピアだと思ってしまった。

一方で、すれ違う人はみんな普通な顔、大丈夫そうな顔をしているように見えた。別に苛立って歩いていることを望んでいたわけではないけれど、この事態でも平気な顔をできていることへの違和感がどんどん膨らんでしまい、少し気持ち悪くなった。気分転換どころか、今自分たちが置かれている状況がいかに異質かを再確認するだけだった。

帰路、改札外のセブンイレブンポカリスエットを買い、マスクを外して一口飲んだ。体調が少し良くなる味がした。

 

一年前の緊急事態の時は、我慢すればよかった。出歩けないのは不便だし、未知のウイルスへの恐怖は確かにあった。けれど我慢をしていれば、感染症を克服したり、ワクチンができたりという明確なゴールに辿り着くと思っていた。おうち時間を楽しもうと、我慢することにも前向きになれた。

正直、二年目の今の方がしんどい。長引いているからではなくて、我慢に割けばよかったエネルギーを失望や怒りにも使わなければならず、それを正しくちょうどよく昇華させる術が自分の中でうまく掴めていない。ウイルスへの恐怖が、人への恐怖に少しずつ変わってしまっている。必要以上に失望して、体のバランスがうまく取れなくなっている気がする。

同僚に会えば、「(こんな状況だけど)私はうまく向き合えている方ですよ。元気ですよ」みたいな受け応えをしているが、じわじわと削られてきている。それがこのタイミングでぐっと押しかかってきたのだろう。

 

梅田ですれ違った人を思い出す。きっと、みんな平気そうな顔をしながら、見えないところでちゃんと怒ったり、震えたり、折り合いをつけているんだろうなと思っている。私は、折り合いをつけるためにもう少し時間が必要な気がする。ちょうどよく世の中に向き合って、ちゃんと楽しいことを楽しんで、ちゃんと怒るべきことに怒って、誰かの怒りや不穏さに流されないようになりたい。

 

最寄駅で電車を降りた後、近所のケーキ屋さんに寄った。自分のためにケーキを2つ買う。

帰宅してから、ケーキを写真に撮ってSNSに上げようかと考えた。お皿に乗せ、スマホのカメラを起動してあれこれ構えたけれど、撮るのをやめた。そのまま食べた。ケーキの写真に何か言葉を添えようという気にならなかった。

 

ケーキはおいしかった。それだけで良かった。